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名古屋高等裁判所 昭和25年(う)564号 判決

被告人

吉野すえ

外一名

主文

原判決を破棄する。

本件を岐阜地方裁判所(大垣支部)に差戻す。

理由

弁護人沢登光雄の控訴趣意について。

二、吉野すえに就て

被告人の司法警察員に対する第一回供述調書(原判決に二回と記載せられたのは誤記と認める)の記載によると被告人は幼少年の子女六名を擁していることは之を認めるに充分であるが、而も右供述調書及び原判決書の各証拠によると、本件の犯行は只一回の賍物故買でその被害額も二、三万円程度のものであると認められるから、之に対し懲役の実刑を科することは、被告人に前科があるか、またはその犯情頗る悪質であるか又は改悛の情が認められたいか、その何れかの場合であろうと思われる。よつて記録を通看するに原審が被告人に懲役の実刑を科した根拠と思われるものは、司法警察員竹中清美作成の被告人に対する第一回供述調書の記載中被告人の供述として、自分は二年程前の夏に妹ふいと共に賍物故買の疑で検挙せられ目下審理中である旨の記載(記録三百八十七丁以下)あるのみである。(尤も司法警察員土田利之作成の大橋清及び被告人に対する各第一回供述調書の記載によると右大橋等は被告人方に寝泊りした旨の記載があるが此点に就き被告人は右は大橋等が夜中に出歩いては警察に捕まる虞れがあるからと言つて無理に泊つて行つた旨弁解があるので左程重要なものではない)翻つて原審公判調書を通看するに、右竹中清美作成の供述調書は原審に於て之を証拠として適法な取調を為した形跡がない。然らば原審は適法な証拠調の手続を履践しない資料に基いて被告人に対する刑を量定したものと認めるの外は無いが、果して然らば之れ刑事訴訟法第三百七十九條に所謂判決に影響すべき訴訟手続の違背あるものと断ぜざるを得ない。蓋し新刑事訴訟法が、裁判所の為す犯罪事実の認定は原則として起訴状の記載に拘束せられることとし(第三一二條)職権による弁論の併合又は分離並に証拠調の決定等に際つても当事者の意見を聴くことを必要とし(第三一三條、第二九九條第二項)証拠調の決定又は裁判長の処分に対しては当事者に異議申立の権利を与え(第三〇九條)証拠は原則として相手方の反対尋問に曝されることを要求し(第三二〇條)相手方の同意の有無により証拠能力に差等を附し(第三二六條)裁判所に対し、当事者に反証提出の機会を与えることを要求し(第二〇四條)証拠調の方法に就ても公判廷に於ける朗読、訴訟関係人に対する展示を必要とする(第三〇五條乃至第三〇七條)等の規定を設けたのは、旧刑事訴訟法の職権主義に反し、当事者主義を強調し、職権主義はその背後に隠れて、以て民主々義に基く刑事訴訟の運行を期すると共に、公明正大な審理を要求したものに外ならない。斯る法制の下に於ては苟くも相手方の反対尋問に曝され、又は反証提出が与えられなかつた資料に基いて裁判官の心証を形成することは犯罪事実は素より、量刑に関する事実に至る迄、之を厳禁せられるものと解するを相当とする。論者或は、刑事訴訟法第三百十七條によれば「事実の認定は証拠による」とあり、又同法第三百三十五條に「有罪の認定をするには証拠の標目を示さなければならない」とあつて、二者共通の観念であるから量刑のみに関する事実の認定は証拠によることを要せず、従つて適法な証拠調の手続を履践しない資料に基いて刑を量定するも差支がないと言うかも知れないが、若しこの見解を是認せんか、新法の強調する当事者主義を全く沒却し、公明正大なるべき訴訟手続をして片言訴訟の弊に陥らしめるものいわなければならない。素より刑の量定は犯罪事実のみならず被告人の身分、経歴、前科の有無、教育の程度、犯罪の動機、態様、事後の経過等諸般の事情を綜合考察した結果決定せられるものであつて、その復雑多岐なる到底具体的な挙証を許さないものがあるから、新法に於ても旧法と同じく、判文上は量刑に就ての挙証を要求しないのであるが、右は単なる形式的な技術面の要請に基ずいたに止まり、之を以て直ちに量刑に関する資料を裁判所に提出し、裁判所亦之を受理するに就ては証拠調の手続を履践しなくとも可なりと解することは失当である。されば原審が適法な証拠調の手続を履践しない前記供述調書を受理し、之に基いて被告人に懲役の実刑を科したことは明かに違法である(昭和二十五年九月十九日当審第三百五十三号判決参照)

即ち以上の点に於て原判決は既に破棄を免れないから爾余の点に対する審理判断を省略し刑事訴訟法第三百九十七條に則り原判決は之を破棄するが本件は尚詳細な事実審理を要するものと認めるから同法第四百條本文に従い之を原審に差戻す。

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